車 買取の性質
なにしろ、故国を出るときには、トヨタ高岡工場新工場をすべて取材してきた。
この目に、なんとも前近代的な設備に映ったのは、いまにして思えば当然のことであった。
新しい工場で、新しく設計された卓がつくられれば、当然、競争力がある。
七〇年代後半へ日本車がアメリカで売れたのもある意味では産業リズムのなせる業だった。
そのかわりいま、アメリカはつぎつぎに新工場を建設、旧工場も改造している。
これが、どんな未来をもたらすか。
この点は、ものすご気にかかることである。
キャデラック工場を見学して感じたもうひとつの点は、作業者の働きぶりであった。
これがまたなんともいえず悠長なテンポであった。
日本人のキビキビした作業態度にくらべると、怠慢にさえみえた。
「なぜ、こんなに働きがスローなのですか」私は思わず、案内役のアダムスに聞いてみた。
彼はその質問が意外だとばかり、一瞬ためらっていた。
が、ひとこと答えた。
「アメリカの工場は、労働組合が強いからね。
だから、働かないんだ」労働組合とは、(全米自動車労働組合)のことである。
かねて資料の上では、よくお目にかかっていたが、現実を目の前にしたのは、もちろんこれがはじめてであった。
生きたUAWとの初対面だっただけに、そのときはきわめて強烈な印象を受けた。
ただ、おたがいに不幸なことは、その初対面(一方的ではあったが)が、あまりいい印象の出会いではなかったことだ。
その後、九〇年に名物UAW会長オーエン・ビーバー氏を取材した。
以来、四回ほどお会いしていると、ときにいかにも労働運動の闘士たる面目が躍如としてこうこうやいたが、ときに個人的にはじつに好々爺であった。
後年、いろいろ取材していてわかったことは、UAWの性格も、会社によってまったく異なる特徴を発揮していることだった。
これは、UAW側にも原因があるが、その多くは会社側が原因をつつていると思う。
とくに、GMとフードとは対照的であった。
GMは、その後もUAWからたびたびストライキを打たれ、九八年においてさえ五七日におよぶ大ストライキを経験している。
フードは、九〇年代に入ってストは一回たりともない。
C社は一時期へUAW側から重役会の一メンバーが選任されていた。
キャデラックの組立てライン・サイドを歩きながら、私にはどうしても解せぬことがあった。
前年(六八年)の決算はまだ手元になかったが、六七年決算では売上純益率七・六%を計上していることだった。
当時の取材メモには、フードは四・五%、C社は三・三%、フルクスワーゲンは四・三%、トヨタは七・二%と記してあった。
一見、非能率なこの主力車種工場で、なぜ性界トップの純益率を出せるのだろうかく私は遠慮がちにアダムスに聞いてみた。
すると意外にも、彼はきわめて単純な解答を出した。
「GMというのは、だれが経営してもぜったいにもうかる仕組みになっているのです、ミスター・スローン以来ね」これは、名答であった。
いまにして思うと、GMという企業の本質をついていた指摘だった。
ミスター・スローンとは、アルフレッド・P・スローンのことで、一九二四年社長に就任、三七年から五六年まで会長として、GMに君臨した中興の祖である。
当時、大企業病にかかりかけていたGMを、みごとに再建した功労者だった。
その経緯は、彼の筆になる『GMとともに』("MyYearSwithGM")に詳しい。
たしかに、GMは創業二九〇八年)以来八九年まで、赤字決算は二回しか出していなかった。
一回は二次石油危機の翌年八〇年であった。
同じ期間、フードは三回、C社は六回も赤字決算を体験していた。
その名答に、蛇足ながら、かさねて開いてみた。
すると、「それは、トップ・マネジメンの問題だから、われわれの知るところではない」アダムスは、突き放して答えた。
あとから思えば、こういう答えをするところが、いかにもGM的であった。
おそらく日本企業ならば、経営者の意を体した広報マンが、外部の人間にわかるようかみだいて説明するところである。
この差は、あれから三〇年たったいまでも厳然として残っている。
官僚主義的とも、大企業病ともいわれるゆえんである。
それでもアダムスは、その質問が気にかかっていたのか、部屋に戻ると、一枚の紙をもってきてくれた。
「さっき工場でされた質問だが、これがその秘密かもしれない」その紙には、「GM基本的経営指針」(GMBaSicODeratingPrincipe)というタイトルがつけられていた。
いわばGM憲法である。
内容は、つぎの七項目であった。
この一枚を手にしてから、早くも三〇年以上過ぎた。
この間、GM会長の椅子には、六人が通り過ぎていった。
ところが、その企業行動を追ってきた実感からすると、この憲法は、いい意味でも、悪い意味でも、依然として生きつづけているように思う。
それにしても、この憲法はまさしく組織のための規範である。
個人のことにもふれているが、それは組織のなかの個人というとらえ方をしている。
アダムスから手渡された夜、ホテルでくり返し読んでいた。
そのときは、高収益GMを支えところがいま読んでみると、GMはこの規範にふり回されているかのような印象を受ける。
もちろん、三〇年以上過ぎたいまは、当然、新しい感覚の規範がつくられているとは思う。
ただ、三〇年以上過ぎたいまもGMは組織が前面に出すぎて、個人の顔がみえない。
これは、善し悪しの問題ではない。
是非論でもない。
企業の個性であり企業文化の問題なのである。
一九九二年、GMは社内クーデターを起こし、企業体質の転換をはかった。
これは、むしろ収益体質の転換をはかるものであった。
もはや「だれが経営してももうかる体質」は、許されなくなった.GMを取り巻環境が、アメリカ内陸の暖かい風から、国際競争という冷たい風に変わってきたからである。
変わらないのは、組織が強調される紳士の会社という点だけである。
GMの取材が終わると、つぎはフードの週であった。
初日、型通りリバー・ルージュ工場を見学した。
この工場は、フード創業の原点であった。
製鉄工場からガラス工場まである完全一貫生産工場であり、フードの誇りであるのみならず、アメリカの誇りであった。
だから、国の内外から一般見学者が、文字通り列をなした。
私は、その列のなかに入れられて、広報マンに案内された。
製鉄工場をひと回りして、ムスタングとクーガの組立てラインの最終工程に来たとき、私は鷲べき光景に遭遇した。
ライン・オフするとき、それまで開いていたボンネッ(エンジン・ルームのふた)の支えがはずされて、寸分のちがいもなく閉められるはずであった。
それが閉まらないのだ。
その光景に驚いた私は、つぎの瞬間またまた衝撃的シーンを見た。
ラインにいた担当者が、やおらそばに置いてあった巨大な木槌をふり上げ、フェンダーの内側を打ち下ろした。
それからボンネットをもう1度閉めた。
すると、ふしぎにもぴったり閉まったのである。
その作業者は、休むひまもなく、ボンネッを閉めてみては木槌でフェンダーの内側をたたき、その作業を完了していた。
木槌は、だから専用の工具であり、そこはひとつのレッキとした工程であっ「失礼ですが、これはこれまでの工程のどこかに、共通のミスがあるんじゃないですか」と、案内係に聞と、けげんな顔をしながら、平然と答えた。
「ノー、あれは単なるアジャストメント(調整)にすぎない」見学を終えると、もう正午だった。
それからは一般見学者と別れて、ゲスト用食堂に案内された。
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